あなたに落ちるその日まで

「まーた何か食べてる」

入門表を書いて学園に帰ってきた尾浜の口には、行儀悪く串が咥えられていた。食べているのは団子か問うと、首が縦に振られる。
万が一転けたら喉に刺さって危ないし、洒落にならないからやめた方がいいと思う。というのを言おうか言わないか悩んで、私の正面で立ち止まった尾浜の口から飛び出る串を掴み、そっと引っ張る。
器用に団子を口の中に溜め込んだ尾浜の頬は膨らみ、その姿はまるで動物のようだった。
どことなく狸らしさがある。いや、リスが一番近いかもしれない。
そんな事を本人に言おうものなら、調子に乗りそうなので胸の内にしまう。
こいつはそういうおちゃらけた奴だと、数ヶ月前と違って、今の私は知っている。

「ほはへほひっひょひひふ?」
「言いたいことは分かるけど、飲み込んでから喋って。詰まっても知らないよ」

目の前で私を凝視しながら、口を動かし続ける様を眺める。何だろうか、この不思議な時間は。
不快感がある訳ではないので、大人しく口の中の物が嚥下されるのを、負けじと見つめ返して待つ。
謎の睨めっこに、尾浜の口が微かに笑いを堪えて歪んでいた。
人の顔見て笑うなんて、失礼なやつ。

「んー美味しかった。で、お前も一緒に行く?」
「そんなに美味しいんだ?」
「見つけてから毎週行ってる」
「それはすごい。お金渡すから来週私の分も買ってきてよ」
「嫌なこった。せっかくだし一緒に行こうよ」
「来週はちょっと忙しいんだけど、まぁ……なんとかするかぁ」

私もちょろいもんだ。尾浜の舌は、一年は組のしんべヱの次に信頼できる。それに、尾浜が美味しそうに団子を口にしている姿が、何よりも私の食欲をそそった。
手強そうだからと時間をかけて済ませる予定だった宿題の山を、団子屋に行くまでに片す必要が出来てしまった事だけが痛い。

私と尾浜は、なんというかご飯「仲間」という感じだ。友達とも違う。
適切な表現が浮かばないないけれど、強いて言うならこれだろう。

あの日のことはよく覚えている。休日、美味しいと噂を聞いてちょっと遠くまで足を運んだうどん屋に、偶々尾浜がいた。
まさかそんな所で知り合いに会うとは思いもよらず、向こうから話しかけてくれて。
それまではお互い顔を知っている程度の間柄だったけれど、あの日を境に、気になる食事処に一緒に行くようになった。
それ以外の交流は、実はほとんどない。
学園で話すのもご飯の誘いくらいで、自分のことながら奇妙な関係だと思う。
 

件の団子屋で、運ばれてきた串に刺さった団子を一つ、口に入れる。もっちりとした歯応えに、濃厚な味わい。ここ最近食べた団子の中でも、上位に入るほど美味しい。
学園からの距離も遠い訳でもなく、これは通いたくなる気持ちも分かる。
一粒の満足感が高い団子に口を動かしていると、一方で尾浜は毎週通っているだけあって、同年代くらいの娘さんと親しげに私の向かいで喋っていた。
和やかな空気感の一方で、暖簾を潜った時、その子が私のことを冷めた目で見たのを見逃していない。
向かいの邪魔をしないように、黙々と二つ目の丸を口に入れる。
「いつもは持ち帰りなのに、今日はここで食べていくのね」なんて媚びた声色に、女は恐ろしいなと他人事のように思いながら、頑張って極力存在感を消していた。

「どう?」
「もっちもちで美味しいね。これは週一で楽しみたい気持ち分かるなあ」
「だよね。じゃなくて、あの子のこと」

なるべく二人から意識を遠ざけて真剣に団子と向き合っていたから、気が付かなかった。
残り少ない団子から顔を上げると、声量を落とした尾浜はいつからその状態だったのか、困り眉で肘をついている。
皿の上にはまだ一口しか齧られていない団子が乗っていた。普段なら、とうの昔に胃の中に吸収されているだろうに。
尾浜の言うあの子が誰のことを指すのかは、説明されなくとも分かる。

「今も向こうから俺のこと、見てるでしょ」
「うん、すごく。どちらかといえば私を睨んでる」

尾浜の肩越しに、今にも私に飛びかかりそうな目つきでお前は何者かと探る、はっきり言えば不快な視線。

「俺が誘った理由、気付いてくれた?」
「えー……私、ただ美味しい団子食べにきただけなのに」

あからさまな彼女の視線に、気付かない方が難しいだろう。団子目当てに通ったら、団子屋の娘に好意を寄せられて困っている。だから、私の姿を見て脈がないと思って欲しい。
大方そんな所だろう。ただの飯仲間じゃなかったのか、私たちは。

「友達以上な感じでいてほしいんだけど」
「断る。いらない恨みは買いたくない」
「そこをなんとか!俺たちの仲じゃん」
「仲も何も、ただのご飯仲間でしょ私たち」
「え、そうなの?」

丸い目をさらに丸くして驚くその顔を、眉を寄せて見る。まさか驚かれるとは思わなかった。

「俺、お前が遊びに行きたいって言ったら二人で出かけられるけど」
「へぇ?私は……どうかな。遊びの内容次第では考えるかも」
「なんだそれ」

ケタケタと笑っているその顔の向こうで、般若が覗く。尾浜と話せば話すほど、私の居心地が悪くなっていく。

もうこの時点で、私は二度とこの団子屋に足を運べなくなった。
女の恨みというのは根深く、ここまで見られていては顔を覚えられたに違いない。
だから、どうしても食べたい時は変装して行く必要がある。
そこまでして美味しいものを食べたいかと言われると……全然食べたい。何分食い意地が張っている。
そんなところが尾浜と馬があって、もう何軒も二人で食事処を回っている。

尾浜との関係が仲間か友人かを考えるのはさておき、困っているというのを捨て切れるほど、私は冷酷ではない。
けれど、無償の優しさも持ち合わせていない。

「そうだなぁ。次、尾浜の奢りなら」
「くっ……背に腹はかえられないか……」
「そうだ勘右衛門!昨日一緒に食べたあのうどん、また来週食べに行こうよ」

人に奢ってもらうご飯程、美味いものはない。やっぱり断る、なんて言わせないために、退路を塞ぐ。
話題にあげたうどんは、確か先々週一緒に行ったうどん屋のことだけど、忍たま五年生にもなれば私の意図は汲めるだろう。
尾浜のことを親しげに名前で呼び、昨日も会っていて、日頃ご飯に行くような仲であることを、周りの迷惑にならない程度に声をあげて彼女の耳へ届ける。
とどめになんとなく甘い雰囲気でも見せつけたら、少しは牽制になるだろうか。
恋に貪欲な女の子の気持ちは、同性だとしても私にはあまり分からないけれど。

ところが私の予想に反して、彼女よりも目の前の男の方が固まっている。

「ちょっと勘右衛門?昨日のことなのにもう忘れちゃった?」
「えっ、あー。まさか!あそこ美味しかったよな。行こう、また来週」
「約束ね。あと口にタレついてるよ。本当世話が焼けるんだから」

先程からいつになったら拭うのかと、般若と交互に気にしていた口元の茶色い甘だれ。
一口目あたりからそのままになっていたそれを活用すべく、手拭いを取り出して手を伸ばして拭う。
僅かに色づく耳に、演技派だなと感心した。流石に私は体温管理までは出来ない。高度な色仕掛けまでできるんだ、優秀ない組は。
肝心の肩越しに見える彼女は、怒りに肩を震わせていた。
しかし、尾浜の色づいた耳を見て、徐々に哀しみへと気持ちが移ろっているようにも見える。
意外と執着はしないのかもしれない。
ここまで仕掛けた所で、尾浜に早く食べるよう小声で促す。
拗れずに解決するかどうかは、彼女の性格と尾浜の今後の動き次第だ。後は任せた。
 

互いの皿から団子が無くなったのを確認して、そそくさと店を立ち去る。
もちろん、立ち去る時の距離感は、少し近めに。
袖を振れば触れ合う程度に歩き、彼女が外まで覗きに来る可能性を考えて、しばらくそのまま歩いた。
尾浜は、私に親しくしろと言ったくせに、口数少なく先程から私一人で喋り続けている。
団子屋が遥か向こうになった頃を見て、一人分尾浜から距離を置いた。
これが、いつもの私たちの距離だ。

「あぁ、怖かった。次は一人で食べにいって、なんとかしてね」
「うん」
「結構頑張ったでしょ?私。うどん二杯分くらいの働きはした気がするんだけど」
「うん」
「うんじゃなくて。尾浜、私の話ちゃんと聞いてる?」

せめて一杯にしてくれという突っ込み待ちだったというのに、何を言っても上の空な尾浜に、若干の苛立ちを滲ませて顔を向ける。
何かを噛み締めるようにどこか遠くを見る、その横顔。

「さっきみたいに勘右衛門って呼んでよ」
「なによ、いきなり」
「いいから呼んで」
「えー?……勘右衛門?」

要望に応えて名を呼ぶと、足が止まって頭を抱えてしゃがみ込む。
私たち以外に誰も歩いていないとは言え、道のど真ん中。
念のため周囲を見渡して、誰もいないのを確認してから、私も隣にしゃがみ込む。

「大丈夫?もしかして食べすぎた?」
「無自覚かよ〜!くのたま恐ろしい……」
「はぁ?」

先程から意味が分からない発言ばかり。
でも、その意味を分かりそうで、分かりたくないと思っている自分がいる。
理解を拒む方へ、頭が働いていた。
尾浜にとって、暇つぶしに丁度いいような、都合のいい女でいたいと思っている。
何かを期待してしまいそうな自分が嫌だ。

「お前さ、本当に俺のことご飯仲間だと思ってんの?友達ですらなく?」
「だって私たちご飯しか行かないじゃん。学園の中で話すこともないし」
「なんで俺がお前に美味しいところ見つけた、って毎回誘ってると思ってるの」
「そりゃ、一人で行くのが寂しいからでしょ」
「それ本気で言ってる?」

項垂れていた呆れを滲ませた顔が、私を下から覗き込むように見上げる。
あぁ嫌だな。無自覚で、鈍感でありたい。
ここまで来て、尾浜が私をどう思っているか、分からないほど鈍くはない。
そしてそれを、知らないふりしていられるほど、男を弄ぶ素質はない。
シナ先生にバレたら、クノイチ志望がそんな事でどうするのかと怒られそうだ。
視線を逸らしながら、前髪をかき上げてそのまま頭に手を当てる。今度は私が項垂れる番だ。

「あー……伝わらなかったら深掘りしないで。いつから?」
「四回目に、ちょっと奮発して港町のご飯食べに行った時」
「伝わるし、結構前なんだね」

初めて甘味以外のところにご飯を食べに行った時だ。
そんなところまで守備範囲なんだ、と思った覚えがあるし、何より奮発し甲斐のあるほど海鮮料理が美味しかったからよく覚えている。
どうだろう、あれは半年くらい前だろうか。いや、実際は三ヶ月くらい前だ。
二人で食事に行く間隔が短くて、もう随分長いこと一緒に出掛けている感覚だった。

「あのうどん屋で偶然会った時から、お前の美味しそうにご飯を食べる姿に一目惚れして、好きでした」
「っ……どうも」

少しだけ上体を起こして、私と同じ視線で伝えられた真っ直ぐな告白の言葉に、ただお礼の言葉を返す。
視線が合っていることで動揺していることに気が付かれてしまいそうで、耐えきれずに背後に広がる田園に目を向けた。

体調が悪いわけじゃないのならと立ち上がり、一人歩き出す。
何事も無かったように隣に並んだ、私より少し高い位置にある頭が、確実に私のことを見ているのを知らないふりする。

「誘ってもらったし、来週あのうどん屋行く?」
「尾浜の奢りならね」
「あれ?俺の名前は勘右衛門だけど」
「もう呼ばない〜」

ほら、調子に乗り出した。尾浜はこういう奴だ。
他人との距離の掴み方とか、駆け引きがうまいって、他の五年生どころか六年の先輩方ですら噂してたの、私知ってるんだから。
人のいい笑顔で少し腰を曲げて話しかけてくるその姿にムカついて、立ち止まる。

「私が!あんたに完全に落ちたら!……そう呼ぶ、から」

言葉尻が窄んでいく。これでは、もう答えが出ているようなものだ。
尾浜の視線と私の視線が交差する。
その丸い瞳に吸い込まれそうになって、やっぱりすぐに逸らした。
耐えきれなくなって、学園までまだ距離はあるけど、カロリー消費だと言い訳して地面を蹴った。

最悪だ。気付いてしまった。尾浜にすっかり手玉に取られている。

後ろから聞こえるゆったりとした、それでいてしっかりと私から離れない足音は、どう見ても加減された速さで。
きっと尾浜は、学園に着くまでこの距離を縮めないだろう。
等間隔の無益な鬼ごっこの終わりは、私の体力がなくなるのが先か、学園に着くのが先か。
 
逸る気持ちで振り返った先で、尾浜が楽しそうに笑っていた。

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